Scientologyのこれまでの歴史の中で、ハバード氏の全ての作品を可能な限り多くの言語で利用できるようにする、という試みは何度も行われました。 しかし、それらの試みの成功は簡単なものではありませんでした。 ハバード氏によって世界各地で行われた、50年前のDianeticsとScientologyの講演テープを救済する作業は、音声修復技術の制約で、複雑なものになりました。 いくつかの事例では、書かれた教材に間違った日付がつけられていたり、オリジナルの作品が欠けていたりしました。 宗教の神学を、創設者の文字通りの意図に忠実に保つという課題は、革新的な解決策を必要としました。
これらの障害にもかかわらず、デビッド・ミスキャベッジ氏はハバード氏の指導のもとで開始されたプログラムを粘り強くやり通しました。 それはScientology教典の救済への鍵となったのです。
ミスキャベッジ氏が直面していた課題をもっとよく理解するためには、Scientologyのブリッジ開発に至る、L. ロン ハバードの人生、心、精神に関する調査の年代に沿った道筋で、DianeticsとScientologyを勉強することによって知識が得られるということを理解していなければなりません。
それらの教材の一部だけが出版され、普及されていたので、サイエントロジストがハバード氏の哲学と宗教についての完全な理解を得る方法はありませんでした。 その理解を提供するために、ハバード氏は、彼が執筆したすべての文献や録音された講演記録を、世界各地のすべてのサイエントロジストが広く利用できる日が来ることを思い描いていました。 デビッド・ミスキャベッジ氏は、その思いを現実のものとします。
知識の黄金時代の旗の下で発表された「会議」講演はまさしくそのために計画されました ミスキャベッジ氏は2005年、この講演シリーズは、ハバード氏が、DianeticsとScientologyの画期的な発見であると説明した、広範な公共フォーラムに直接アクセスするものであると発表しました。 知識の黄金時代によって日の目を見た他の教材と同様、これらの講演は15言語に翻訳され、世界人口の半分がScientologyを利用できるようになりました。
L. ロン ハバードの講演を復元
宗教の惑星規模の成長ために必須な記念すべき任務
ハバード氏の1950年代から1980年代までのオリジナルの講演は、DianeticsとScientologyの技術が、創設者の教義に忠実であることを確実にすることがプロジェクトの主要な要素でした。 ハバード氏はダイアネテシスト(Dianetic療法のオーディター)とサイエントロジストに、何百もの講演を提供しました。 講演の多くは、世界各地の会場で提供され、対応する本の側面について展開しました。
録音されたとは言え、これらの講演の多くが、複製を作る設備の欠如のために、教会の形成期に広範囲に利用することはできませんでした。 かつて実施されたプロジェクトは、講演が提供された各都市をくまなく探し回るというものでした。ロサンゼルス、フェニックス、フィラデルフィア、ワシントン、D.C.、ウィチタ、ロンドン、メルボルン、ヨハネスブルクなどで、存在が知られていたオリジナル録音がすべて集められました。 しかし、この時点でも、原本は時の経過とともに悪化していたため、大量の複製はまだ不可能でした。 それまでにもさまざまな復元の試みがなされたにもかかわらず、大半の講演は、提供された日以来、一度も聞かれたことがなかったのです。
最終的に、L. ロン ハバードによるすべての本について、それらが完全に純粋であることを確実にするために、すべての語、すべての行がミスキャベッジ氏によって徹底的に調査、照合、修正されました。
しかし、21世紀に入り、コンピューターとデジタル技術が飛躍的に進歩したことで、この極めて困難なプロジェクトがあらためて開始され、ようやく実際の成果が挙がるようになりました。 それでも、内容にふさわしいレベルの品質を達成するために、デビッド・ミスキャベッジ氏は既存のオーディオ技術の限界を押し広げる試みを続けました。最終的に、世界でも有数の精巧な技術を駆使する音声修復スタジオが設置されました。 何万時間にも及ぶ作業の末に、かつては欠落や歪み、雑音のためにまともに聴くことのできなかった何百時間分もの録音が、見事に修復されました。 その結果、今日、そして永遠のために、Scientologyの教典の膨大な部分が復元されました。